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J鉄局の珍車ギャラリー

南海電気鉄道 サハ6610

ギャラリー

「運転台付きのサハ」
 南海電気鉄道 サハ6610形 6610

高野線用の通勤形電車として最初に登場した6000系が
いよいよ姿を消します。
通勤形電車の片開きドアもかつては当たり前の仕様でしたが、
もはや大手私鉄では稀少な存在です。
おもえば6000系は、今まで1両の廃車も転属もなく
50年以上もの間、同一線区を動かなかったこと自体、
非常に珍しいことなのですが、
その編成をひもといてゆくと、
一筋縄ではいかない彼らの歴史が見えてきます。

南海6000系は1962年から69年までに72両製造されました。
南海本線で運用されていた7000系のほうが
一足早く姿を消しており、
また普通鋼製車体であることから
こちらのほうが旧型に見えますが
6000系のほうが古く、
南海初の4扉通勤電車となる新性能車です。



6000系の製造が終了した69年の段階で
6000系はそのすべてが4連で合計18本。その内訳は
モハ6001形Mc−36両
サハ6801形T−21両+
クハ6901形Tc−15両の計72両となります。

しかし彼らはもともと3連でデビューしています。まず、
ここに至るまでの編成の推移を見てゆくことにしましょう。

なお今回、便宜上
モハ6001形ならcM、Mc というふうに区別して記載、
cで運転台の位置を示しています。

62年のデビュー当初、6000系はcM-T-Mcで
←難波(上り)方 
6001-6801-6002 〜 6007-6804-6008      
の4編成が登場します。

それが64年製の3連では
cM-cM-Tcになっています。
6009-6010-6901 
これらは65年度中に増備された車両によって
6009-6901-6010U     
6011-6902-6012       
6013-6903-6014  と整理され、
6010は6011に改番 09編成の6010は2代目となり
cM-Tc-Mc の3連で統一されました。
ややこしいことになってはいますが、
要は3連ではあっても、64年製以降は、
すべて運転台付き(cM-cM-Tc/cM-Tc-Mc)だ
ということです。
こうとなったのは、おそらくこの時点で
将来 4+2で編成を組むことが
意識されていたのではないかと思われます。
そして73年の昇圧がなったあかつきには1:1のMT比でも
紀見峠を越えられるという計算があったに違いありません。
だから、先行してcM/Tcを増備し、
あとからT車を増結、4連化していったと思われます。

4連化は早くも
66年10月から推し進められることになりました。
まず65年度に
整理された3連にT車(05〜07)が増結されました。
6009-6901--6805--6010U     
6011-6902--6806--6012  
6013-6903--6807--6014  
以下、すべて新造の4連も登場していますが、
上記と同様
cM-Tc--T--McといずれもTc車が組み込まれています。
以下
6015-6904-6808-6016  
6017-6905-6809-6018……

と このようにして69年に
すべて4連の18本=72両が完成したというわけです。

そして、すぐさま1970〜73年にかけて
6000系は4連と2連に組み替えられることになりました。
1971年から高野線で6両運転をすることになったからです。
結果
cM+T+T+Mc×10本、cM+T+Tc+Mc×1本、
cM+Tc×7本、cT+Mc×7本
に再編されています。
クハ6901形はすべて下り方に運転台があったので、
このうち奇数車は方向転換を行いました。
よってクハ6901形の奇数番号車は上り方、
偶数番号車は下り方に運転台がある形となります。

すっきりしたようですが、奇数車は1両多いため
cM+T+Tc+Mcが1本混ざっています。

はじめから、cM+T+T+Mcの編成を4本、
cM+Tc+T+Mcの編成を14本 としておけば、すっと
cM+T+T+Mc×11本、cM+Tc×7本、cT+Mc×7本
でおさまり、
cM+T+Tc+Mcという
Tc殺しの異端編成を組まずにすんだのに、
なぜこんなことになったのでしょうか。

こう書くと、当時急増する需要を読み切れず、
3連でスタートしたことに問題がありそうに思えますね。
でも6000系登場時、南海電鉄の架線電圧は600Vであり、
当然6000系も600V対応の電装品を搭載して
製作されたわけです。
これを見過ごしてはいけません。

ここで6000系のスペックを見ていきましょう。
当然、抵抗制御ではありますが、
日立製 超多段制御器(VMC-HTB-20AN)に加え、
WN駆動をを採用することで、
スムーズな加速を実現しています。
主電動機は三菱製MB-3072-A(後にB)で、
出力は600V時115kW/1600rpm、
1500V時145kW/2000rpm、
1962年当時の狭軌電車用電動機としては
最強クラスのモーターです。
そして車体です。
東急車輛がアメリカ・バッド社のライセンス供与を受け
開発したもので、
東急7000系の兄弟ともいうべきオールステンレス車です。
東急7000系が18m級3扉車であったのに対し、
同じ年に登場した6000系は20m級4扉車と
違いはありますが、
台車もバッド社のライセンスのもと、
東急車輛が改良し軽量化を図った
軸箱梁式のパイオニアIII(TS-702/TS-702[T])台車をはきます。
外側に露出したディスクブレーキのローターが夕陽にギラリと輝く…
その走りっぷりのカッコ良さは今も忘れられません。
それはさておき、
軽量車体でありながら高出力のモーターで、
ラッシュ時、高密度のダイヤを駆け抜け、
後続の優等列車に道を譲り、
かつまた4ドアの威力で大量の乗客を捌くという
高性能が期待されていたのです。
1960年代後半でさえ、
高野線の各駅停車は、1251形などの旧型車ばかりで、
なかには元高野山鉄道の561形も頑張っていたのです。
6000系のスジを1本でも多く確保するためにも、
まずは3連で就役させる必要があったに違いありません。

1500Vへの昇圧が決定した65年以降の新製車は
600Vと1500Vの双方に対応する複電圧車となり、
さらに66年以降の新製車は
輸送需要に応えるべく4連とされました。
また3連のまま残された初期車も
69年には4連化されました。
この経緯は前述の通りです。
加えて、72年には複電圧仕様に改造され、
73年10月の昇圧を迎えています。
そんなわけで3連を維持しながら、
一方で昇圧対応を行うという、
複雑なスケジュールの果てに
6000系は4連と2連にふり分けられていったのです。
cM+T+Tc+Mcが1本混ざってしまったのも
やむを得なかったというべきでしょう。

6000系の進化はとどまることがありません。
76〜82年にかけ、三日市町 - 橋本間は複線化され、
あわせて長編成に対応させる工事が行われました。
これにあわせ6000系では、
紀見峠を越える急勾配区間で抑速制動を使用するため、
M車に設置していた電動発電機 (MG) をTc車・T車に移し、
その空いたスペースに
電動車の抵抗器を増設する工事が実施されました。

85年からは
車体更新にあわせ冷房改造することになりました。
冷房化による重量増加に対応できないパイオニアIII台車は、
S型ミンデン台車(住金製FS-392C/092A)へ
換装されることになりました。
(ただしT車の一部(12両)は、
旧1000系の廃車発生品である
ミンデンドイツ式台車(FS-355)に換装しています。)

T車に関しては機器配置が変更されたため
更新後はサハ6801形をサハ6601形に改めました。
01Fから09Fまでは、こうです。
6001-6601-6602-6002 〜 6007-6607-6608-6008
6009-6609-6610-6010  
さて、ここまで番号だけ見ると何の問題もない6610ですが、
太字で強調しておきました。
これが、今回の珍車です。
サハ6601形は サハ6801形を改番したものといいましたが、
実はこれだけ クハ6901を改番したものなのです。
クハ6901形の奇数車が1両多いため
cM+T+Tc+Mcが1本混ざっていましたね。このTc車です。

以下、
11Fは 6011-6902  cM-Tc
12Fは 6903-6012  cT-Mcの2連となる一方で、
13Fは 6013-6611-6612-6014 cM-T--T--Mcの4連。
と4連と2連が混ざってしまい、
T車とM車の下二桁に法則性がなくなってしまいました。
よってモハ6001形の番号でもって、
それが2連であるか4連であるか判別できるお方は、
ほとんどビョーキレベルの
南海マニアということになりますね。

とはいえ、その車番毎にその編成を確認していけば、
6000系が、高野線がかつて抱えていた
様々な事情に合わせて製造され、
その後、路線の改良、昇圧、冷房化などがあれば改造し、
その都度、増結、編成の固定化などを経て、
現在に至っているという経過があるのがわかります。
そして、一筋縄ではいかなかったま高野線の歴史を
目に見えるカタチで残してくれているのが
「6610号機」なのです。



南海では6000系全車を2023年度までに
順次新造車に代替する計画があるそうです。
代替用の新製車両は19年度に18両導入され、
その営業運転開始は19年秋だということです。
1000系以来、
高野線用、本線用という区別はなくなっていますし、
特に新型車のニュースも聞かないので、
おそらく8300系の増備車でしょうね−−−。

まあなんであれ、
6000系の後継となる車両は、
そんな高野線(橋本以北)が抱えてきた
様々な課題を楽々クリアし、
南海本線とも共通運用できる
経済的にも優れた車両ということになるのでしょう
−鉄道車両写真集−
南海電気鉄道 高野線 6001系
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