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J鉄局の珍車ギャラリー

神戸電鉄 1370形

ギャラリー

「せっかくの運転台が‥。」
−神戸電鉄 1370形−

1 神戸電鉄と系列−−−−

系列(シリーズ)とは、鉄道車両が大型化、多機能化するに及び、
装備、機器を分散して搭載、
パートナーを固定することで運行する一括りのグループです。
特急用、各停用など使用目的が違えば別系列になりますが、
それぞれ概ね製造時期は同じになります。
よって、使用目的が同じでありながら系列が違うということは、
製造時期が異なるということであり、
そこから設計思想の違いや、
テクノロジーの進歩が汲みとれるということが多いのです。

とはいえ、実際はもっと複雑です。
1編成に3系列からなる車両を組み込んだ京阪電鉄10000系を
その例として前回お話ししました。

今回、お話しする神戸電鉄1000系は、もっと複雑です。

とゆうか、神戸電鉄自体、1000系という概念がなく、
2008年の6000系登場以前、「系」ではなく、
公式資料において長らく「形」のみを使用していました。
ですから、本稿はマニアによる考察以外の何ものでもありません。
しかしながら、
系列すなわち一括りのグループとして捉え認識することから、
そのつながりの意味を考え、
車両に対する理解は深まってゆくのです。

参考文献では、1000番台の車両を1000系列とし、
これをさらに1000系、1100系、1300系に分けています。
私もこれに倣い、
以下、1000番台の車両をあわせて1000系列と表記します。

2 神戸電鉄 1000系列

1000系列は、神鉄初の高性能車である300形の後継車両です。
沿線人口の増加に伴う輸送力増強を目的に
客用扉を1,400mm幅の両開きとしたスチール製車両
と位置づけられます。

1000系列は1965年に登場し
1991年までの26年間に合計106両が
川崎重工業(1969年までは川崎車輌)で製造されました。

あの国鉄103系でも20年間です。
(900番台が1962年〜 1500番台が1981年、82年製の0番台もあり)
これをはるかに超える年月製造され続けてきたのですから
製造時期の違いで数多くの形式が誕生しているのは当然ですね。
でも、相互に連解結が可能で、ブレーキもHSCで統一されています。
単独で動くものと、MMユニットのものとがあり、
それらを組み合わせることで、3連から5連を組成。
輸送需要に合わせたきめ細かい運用を支えてきました。
長い製造期間のうちに冷房車も登場させています。
冷房化されずに廃車となった1000系も存在しますが、
現存するものはすべて冷房改造されています。
ワンマン化対応改造もなされ、塗装も変更されました。でも
ベースとなるデザインはキープコンセプトで作り続けてきたのです。

ではここで、詳しく見てゆきましょう。
単独で動くもの(1M)と、
2両セットで動くもの(MMユニット)とがあると前述しました。
前者を1000系、後者を1100系〜と分別できます。
でもこれは結果論です。

1000系は1965〜76年まで製造されていますが、
68年まで製造された前期車は、MMユニット車でした。
ただ装備されていた回生ブレーキに思ったほどの効果がなく、
300系の後を追うようにその1年後の95年に廃車されてしまったのです。

有馬線の各所に存在する急勾配区間。
そこを下る際に発生するブレーキ力は強大です。
これを回生(再利用)するという発想はよかったのですが、
そのエネルギーを消費する電車が、近くにいるかどうかで
ブレーキ力に差が出てしまうとなれば、それは問題です。
かつて1944年に鵯越で、翌45年に長田で暴走、脱線事故を起こし
多くの犠牲者をだした悲しい歴史を持つ神鉄が、
ブレーキに対して慎重なのは当然です。

結果1000系で残ったのは
後期車となる単独増結用の1050形と1070形です。
特に74年以降に増備された1070形は、使い勝手の良い両運タイプで
かつラッシュ時にも強い3ドアでしたから
冷房化され長く重宝されることになります。

1100系は1969〜72年に製造されたMMユニット車です。
モーターの出力を75kwから105kwにUPしたことで、
T車(サ1200形)を組み込んだ3連固定で登場しました。

当時の輸送需要にマッチしたこともあって13編成39両製造され、
そのすべてが冷房改造されています。
さて、1100系は77年から3ドア車に変更。形式も+50されます。
これを1150系としても良いでしょう。

デ1100-サ1200-デ1100 → デ1150-サ1250-デ1150

数字的にも時期的にも
1000系前期車の後継が1100系ともいえるのですが、
一方で2連固定の需要もあり、
1971年から、こちらは1300系として登場しています。
1000形前期車同様、75kwモーターのMMユニット車です。
1000系から回生ブレーキを撤去したことで新形式となりました。
これ以外、性能に差はありません。
番号は1100、1200を跳ばしていますが、
1300系が1000系の後継車と考えるべきです。

さて回生ブレーキを撤去し、
問題点は回避されたはずなのですが、1ユニットを残して、
1300系も1000系前期車の後を追うように、
そのまた1年後の96〜97年に廃車されてしまいました。
冷房車でなかったのが大きな原因と思われます。

神鉄では冷房化が遅れがちでした。
2ドア車で新造された冷房車は神鉄にはありません。
廃車を免れた1309-1310は冷房改造されましたので、
全て冷房車となりましたが、
「1300系が1000系列の冷房車バージョン」
というのは正しくありません。

1000系列初の新造冷房車はデ1350形1351-1352です。
1979年にデビューしました。
2連固定ですので1300番台っていうことになるのですね。
なお、神鉄では74年以降の新造車はすべて3ドア車です。
1100形は3ドア車になったことで+50=1150形となりましたが、
1351-1352も79年製ですから当然3ドア。
よって+50して1350形となりました。
3ドアであるということも含めて、
これを1350系としても良いでしょう。

その後、12年の空白を経て、
1991年に製造されたのが1500形、1600形です。
実はこれまでの1000系列は、
形式称号にM車なら「デ」、T車なら「サ」が付けられていました。
よってM車である1500形はデ1500形。
T車である1600形はサ1600形となるべきところです。
しかし、91年以降、神鉄では、
「デ」とか「サ」を付けなくなりました。

それはさておき、車番も1500.1600番台だし、
これは1500系だろうといいたいところですが、
参考文献では1100系に分類しています。
電動機が高出力(105kw)であり、
T車を組み込んだ3連固定だからです。

ところで1500.1600番台は1100系となにが違うのかというと、
ワンマン仕様で新造されたという違いです。
このこともふまえて1500系と考えるべきですね。

4連固定の冷房新造車である3000系に対して
3連固定の冷房新造車が1500系。(冷房改造車が1100系)
2連固定の冷房新造車が1300系。(冷房改造車が1000系)
と一括りにしたいところですが、
そうはいかないのが1000系列です。

3 その後の1000系列−−−−

さて、1000系列は、その後どうなったのかというと、
2011年の段階で、68両が在籍。
そのすべてが冷房車となりました。
かつては、増解結することで、3連から5連を組成。
輸送需要に合わせたきめ細かい運用をしてきましたが、
4連ないし3連で編成を固定、
1000系列本来の使われ方がされることも、
なくなってしまいました。

例をあげます。参考文献は「私鉄車両編成表 2011」です。 

←三田、粟生@        新開地→
 デ1070+デ1100--サ1200--デ1100
     Mc+Mc1-T-Mc2 
   1074+1111-1206-1112   
   1075+1113-1207-1114

*わかりやすいように+記号を入れていますが、固定されています。

こんな例もあります…。
←三田、粟生@       C新開地→
 1370-1370+デ1350-デ1350 
   Mc1-Mc2-+-Mc1-Mc2 
   1371-1372+1351-1352  

あれ、変だな?って思われません?
そう、1370-1370…には「デ」がありません。

3 1370形−−−−

忘れていたわけではありません。これが今回の珍車です。
1370形は、1500系が1991年に製造されてのち、
1996,97年に登場したものです。
だから、1500系同様「デ」がついていません。
1000系列は1965年に登場し1991年までの26年間に
合計106両が製造されたと前述しました。
96,97年に登場したということは‥‥おわかりですね。
これは改造車です。
 1979年〜製の1350系MMユニットに組み込まれていた
 1975年〜製のデ1320形中間車ユニットを先頭車改造したものです。
103系を先頭車改造した105系500番台のようなものです。
いやMMユニットのままだから
103系3500番台というべきかな?それはさておき、

1320形は、以下に示すように 
1300形に組み込まれて登場し、
冷房改造に併せて相方を1350形に変更しました。

1307-(1321-1322)-1308  73(75)年製
  →91年冷房化、相方を1350形(79年製)に変更
:1351-(1321-1322)-1352 

1309-(1323-1324)-1310 73(75)年製
  →91年冷房化、相方を1350形(85年製)に変更
:1353-(1323-1324)-1354 

1307、1309編成では2ドア車と(3ドア車)が混在していましたから、
冷房化を機に、これを解消したというわけです。

1355-(1325-1326)-1356  82(79)年製 
        79年製以降はすべて冷房車

1370形の種車となる彼らが先頭車改造された
1996,97年に目を向けてみましょう。
この年から5000系が増備されています。そしてそのことで、
1000系非冷房車(65〜73年製)の淘汰が進められています。
でも1000系2連は、当時、
粟生線の増結用として不可欠な存在でしたので、
代替車両として、
MMユニットの1320形(75〜79年製)を転用することにしたのです。
運転台はほぼ同時に廃車されたデ1300形(03〜06:72年製)
およびデ1050形(57.58:73年製)から移設されました。
当然ですが、この際、
非冷房車であった1320形(21〜24)は併せて冷房化されています。

1000系列は、1Mタイプのものと、
MMユニットのものとを組み合わせることで、
3連から5連を組成。
輸送需要に合わせたきめ細かい運用を支えてきました。
1370形は、その使命を全うするために
わざわざ先頭車改造された車両です。

でも遅くとも2007年には、
以下に示すように固定編成化されてしまいました。
せっかくの運転台が機能していない状態です。
    1371-1372 + 1351-1352  
    1373-1374 + 1375-1376  
わかりやすいように + で示していますが
連結器は半永久固定タイプに換装されています。

なぜでしょう。
2001年に粟生線の増結が取りやめになったというのが、
その契機ですが、
そもそも、なぜ増結をやめたのか。

それは人件費の削減です。

前述したように、神鉄では増解結することで、3連から5連を組成。
輸送需要に合わせたきめ細かい運用をしてきました。
がらがらで運行しても、増解結する際の人員を削減する方が、
コストカットに繋がることから、
需要の見込めない粟生線末端部のホームを
あえて延伸し4両編成が運行できるようにしました。、
ラッシュ時にあっても、
そのまま新開地へ乗り入れることを考えてのことです。

粟生線の輸送人員が1980年代には、
すでに頭打ちとなり、
以後、少しずつ減り続けています。
今や、神鉄の全車両がワンマンカーであり、
5両編成の運行もありません。
粟生線末端部については、
廃線も取りざたされるほど、台所事情は厳しいのです。



1370形に何の落ち度もありませんが、
マスクを譲ってもらったデ1300形やデ1050形に
合わす顔がない−−というところでしょうか。

−鉄道車両写真集−
神戸電鉄 1000系    1300系 
 1100系 1150系 1500系  へJUMP


参考文献:鉄道ピクトリアル
No327「特集 山陽電気鉄道/神戸電気鉄道」1976年11月
No528「特集 山陽電気鉄道/神戸電鉄」1990年5月
No711「特集 山陽電気鉄道/神戸電鉄」2001年12月
   私鉄の車両19 神戸電気鉄道 1986年8月