まずはタイトル画像をご覧下さい。 これは京急本線北品川駅で撮影したものです。 京急線内とはいいながら、 京成・都営地下鉄・北総鉄道が乗り入れてきて、 車両鉄にとっては、本当に楽しい所です。 でもって、この画像はと申しますと、 千葉ニュータウン鉄道の9000形です。 あれ、なにそれ? というお方は鉄としての修行が足りませんね。 とはいうものの、 側面には「北総鉄道」のプレートがあり、 「K'SEI GROUP」ロゴもみられます。 もう一つ、こちらの画像もご覧下さい。 ![]() ほぼ同じですよね。でも番号が違います。 そして前面と側面に 住都公団のマークが設置されています。 これは、住宅・都市整備公団2000形です。 お察しいただけると思いますが、 かつての姿です。 1983年製の2000形は、 1991年に京急線まで乗り入れて以来、 2017年まで四半世紀同じ路線で活躍しながら、 3つの鉄道会社の在籍し、 改番までされている珍しい車両です。 ここでは住宅・都市整備公団2000形から 順を追ってお話しするのが自然な流れですが、 先に北総開発鉄道(→北総鉄道)についてお話しします。 §1 北総開発鉄道 北総鉄道は、1972年5月 北総開発鉄道として設立されました。 千葉ニュータウンの開発にあたって、 都心へのアクセス鉄道は必須の存在といえます。 1979年3月 北総開発鉄道は 北総線(第1期)北初富−小室間を開業。 当初は新京成松戸駅まで乗り入れ、 常磐線経由で都心を目指すルートを確保しました。 次は、小室以東への延伸です。 北総開発鉄道が…といいたいところですが、 1984年3月 小室−千葉ニュータウン中央間 を開業したのは住宅・都市整備公団でした。 鉄道事業者ではない住都公団が 路線の延伸に手を染めなくてはならなかったのには、 京成グループでありながら、 自治体の支援を受けざるを得ない 第3セクターの北総開発鉄道が 厳しい経営状態であったからです。 千葉ニュータウン線と名付けられたのも、 その名をPRし、少しでも不動産の売り上げに 貢献したいという目的が見てとれます。 (1988年4月「北総・公団線」と改称) §2 住宅・都市整備公団2000形 ここで登場するのが住宅・都市整備公団2000形です。 住宅・都市整備公団が千葉ニュータウン線の開業にむけ 1983年、6連(4M2T)×2本が製造されました。 見た目からゲンコツ電車と呼ばれる 個性的なマスクの北総7000形に対し、 住都公団2000形はオーソドックスな顔立ちです。 それでも7000形のままでは 新しい千葉ニュータウン鉄道はアピールできません。 ニューフェースが必要だったのです。 住宅・都市整備公団交通部のスタッフは、 コンセプトとして、 「通勤に適した空調完備の高速低騒音車」を掲げ、 ニュータウンにふさわしい明るい色調の車体と、 暖色系の安らぎ感のある車内を作り上げました。 冷房装置も北総が集約分散式であるのに対し 住都公団は集中式です。 空調にもこだわりがあったんですね。 全く別物のような感じがしますが、一方で 主要機器は北総7000形と共通の機器を多用しています。 制御装置は東洋製の界磁チョッパACRF-H8130-771A と同じものを採用。同じくTDカルダン駆動です。 モーター(三菱製MB-3231-AC2)と 台車(KHS-101/KHS-001)は 形式こそ違いますが、派生品で、 出力(130kw)もギア比(5.31)も同じです。 ブレーキは回生付き電磁直通ブレーキ。HSC-R 機器の取扱いもおおむね北総7000形と共通です。 車両の運行・管理は登場時から 北総開発鉄道(→北総鉄道)で 行うことになっていたのですから納得ですね。 1990年度 京急線乗入れに向け、 住都公団2000形は北総7000形と同じく 8連化されることになりました。 中間電動車(2400・2500番台)が増備され、 MT比は6M2Tとなります。 この際、先頭車を電装(電動車化)、 中間車の電装解除(付随車化)を行っています。 編成表を見ると京成3700形と M車、T車の配置を合わせているのがわかります。 住宅・都市整備公団 2000系8連_01.02F ←千葉ニュータウン中央 京成高砂→ 2101-2201-2301+2401-2501+2601-2701-2801 2102-2202-2302+2402-2502+2602-2702-2802 M2c-M1-T+M1'-M2'+T-M1-M2c 京成電鉄 3700形8連_3701F ←成田空港 京成上野→ 3701-3702-3703-3704-3705-3706-3707-3708 M2c-M1-T-M2-M1'-T-M1-M2c 参考 私鉄電車編成表93年版 §3 住宅・都市整備公団9000形 (→都市基盤整備公団9000形) 1991年の北総・京成・都営地下鉄・京急 4社局直通運転開始を経て、 1994年に住都公団2000形は9000形へと 改称することになりました。 乗り入れ先の京急に2000系が在籍しており、 これとの重複を避けるためです。 この時9000形の車番は、 京成3700形などで採用しているルールを適用しました。 すなわち一位で号車番号、 百位と十位で製造順位を表すものです。 住宅・都市整備公団 9000形8連_01F ←印旛日本医大 京成高砂→ 9001-9002-9003-9004-9005-9006-9007-9008 M2c-M1-T-M1'-M2'-T-M1-M2c 1995年4月 千葉ニュータウン中央−印西牧の原間開業。 ちなみに9100形 C-Flyer(1次車:8連×2) は、 これに間に合わせるカタチで製造されています。 姿形こそイメージチェンジされ、 未来的なフォルムで人気の車両ですが、 足回りは京成3700系8連とほぼ同じの構成です。 1999年10月 住宅・都市整備公団は 都市基盤整備公団(都市公団)に再編。 住宅・都市整備公団 9000形は、 都市基盤整備公団9000形となります。 2000年7月 都市公団は 印西牧の原−印旛日本医大間を開業。 この時C-Flyer(2次車:8連×1)が増備されています。 こちらは都市基盤整備公団9100形 としてのデビューになりますね。 §4 都市基盤整備公団9000形→千葉ニュータウン鉄道9000形 2004年7月 北総開発鉄道は「北総鉄道」に、 北総・公団線も「北総線」と改称されました。 これは行政改革の一環として行われた 特殊法人の見直しに合わせ、 都市公団が都市再生機構(UR都市機構)に改められ、 都市公団保有の鉄道部門が 千葉ニュータウン鉄道に譲渡されることになったからです。 都市基盤整備公団9000形も 千葉ニュータウン鉄道9000形に改められることになります。 2010年7月 北総線全線が 京成成田空港線(成田スカイアクセス)の一部となり、 スカイライナーおよび アクセス特急が運行を開始しました。 思えば、成田空港から都心部へのアクセスは、 JR東日本の成田エクスプレスおよび、 京成本線経由の京成スカイライナーが担ってきました。 JR東日本は首都圏の主要な駅へそのまま乗り入れる ネットワークを活かせるメリットがありましたが、 京成は上野止まりです。 劣勢を跳ね返すには 所要時間を大幅に短縮する必要があります。 北総線が、成田スカイアクセスの一部区間を担うことで 運行区間をショートカット、 なおかつ高速運転することは京成の悲願でした。 千葉ニュータウン鉄道は京成全額出資の子会社です。 千葉ニュータウン鉄道9000形をみてゆくと、 北総・公団線→北総線を自らのネットワークに 組み込もうとする京成の思惑が 見えてくるのです。 160km/hの高速で駆け抜けてゆくスカイライナー。 それを待避線で眺めていた9000形は、 この逞しい後輩に北総線の歴史を 住都公団2000形として生まれてきた経緯を じっくり語って聞かせたかったように思えてなりません。 2013年3月。9200形が運転を開始するのにともなって 9008編成が廃車。 2017年3月。 9018編成も定期運用を終了しました。 参考文献(鉄道ピクトリアル 1984年10月号 #438, 「新車年鑑1984年版」P88〜89) |
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