本文へスキップ
J鉄局の珍車ギャラリー

JR北海道 キハ54形500番台

ギャラリー

「急行 礼文」
  JR北海道 キハ54形500番

国鉄時代、宗谷本線には特急が無く、
札幌〜稚内を、昼行で結ぶのは
急行「宗谷」と、急行「天北」(天北線経由)、
夜行は急行「利尻」でした。
そしてこれらを補完すべく
旭川〜稚内間で設定されたのが急行「礼文」です。
稚内を夕刻に出発し、
夜遅くに旭川に着く上り「礼文」は、
学生時代によく利用しました。
旭川から、夜行「大雪」「利尻」にリレーし
これらを宿代わりにするためです。
超格安な北海道周遊券あればこそでした。
下り「礼文」は利用したことはありません。
しかし、札幌発の始発特急列車と接続した
便利な列車だったと聞いています。

民営化直前、85年のダイヤ改正で
「宗谷」、「天北」は、夜行「利尻」の編成と
共用となりました。
すなわち14系客車の昼行となったのです。
国鉄時代、
私の記憶にある北海道の夜行列車は
「利尻」をはじめ尽く旧型客車でしたが、
これらを刷新するために、
本州でだぶついていた14系客車(72〜74年製)を
81年に改造、これらを置き換えたのです。
(→14系500番台)
「宗谷」、「天北」については、
そこそこの需要があったので、
これでもよかったのですが、
旭川〜稚内間で区間運転をする「礼文」は
従来通り、
キハ56+キハ27で運行されることになりました。
さほど利用者数はありませんでしたが、
廃止したり,快速に格下げというということは、
考えられませんでした。
道北の人々にとって「礼文」は、
いざという時なくてはならない存在だったのです。

しかし、
簡易型とはいえリクライニングシートの14系に対し
ボックスシートのキハ56系では、
見劣りするのは明らかです。
翌86年、新型車両を導入することになります。

それがキハ54形500番台です。
21m級のステンレス車体で、
エンジンは新型の直噴式DMF13HS
(250ps/1900rpm)を2基搭載しました。
これは当時最新鋭の特急用気動車 キハ183系の
DML30HSIの440 PSを凌ぐ出力です。
一方で変速機は
神鋼造機製TC-2A/新潟コンバータ製DF115A、
台車はDT22Gと廃車発生品を使用していました。
製作コストをダウンさせるためでもありますが、
フルパワーで運転することより、
そのほとんどの区間が道指定の
特別豪雪地帯を走行することへの配慮から
2エンジンとされたのです。

注目すべきは急行「礼文」用に充当された
527〜529。
新幹線0系の転換座席を取り付けました。
でも0系転換座席は一般仕様車と異なるため、
窓と座席が合っていないのです。
そのため、窓側でありながら
景色を見ることができない席もあります。
もっとも、座席指定はないので、
そこをはずして座ればいいわけです。
しかし冷房装置は設置されていないのは
なんとしたことでしょう。
翌年、JR四国に導入された
キハ54形0番台にはついています。
バス用クーラーを転用したものですから、
効きはイマイチですが、
500番台は0番台より気密性が高いのですから
問題はないはずです。
急行料金をとるのですから
ここは何とかして欲しかった。
結果、「遜色急行」と呼ばれることになります。

1988年11月
JR北海道は「宗谷」「天北」にキハ40形を
改造したキハ400形・480形を導入します。
キハ183系550番台・1550番台でも採用された
DMF13HZ (330 PS / 2,000 rpm)を採用 、
併せて多段式のN-DW14B変速機に交換することで
特急並の加速力を得、14系客車時代より
格段のスピードアップがなされました。
座席もキハ183系500番台と同等の
リクライニングシートへ交換されています。
(窓と座席の間隔は一致していない)
今回は冷房改造もなされ、
屋根上にインバーター式冷房装置を搭載しました。
(N-AU400:キハ400形の室内に設置した
発電用電源エンジンにより給電)

このことで「宗谷」「天北」は「利尻」との
編成共用を終了、気動車化されます。
短編成も可能なキハ400形・480形ですから、
「礼文」と共通運用とすれば
より効率的と思われるのですが、
両運転台車であるキハ400形は、
機関室・便所・洗面所付きとなるため
座席定員が48名
(キハ54形500番台 :70席)と少ないため、
「礼文」用に増備されることはありませんでした。

この結果からすれば、
キハ54形500番台を最初から
急行用車両として位置づけ、
冷房車としてデビューさせれば
宗谷本線の客離れを多少なりとも
抑えられたような気がします。

しかしそれはできなかったのです。
国鉄時代末期、
北海道では、貨物列車も激減し
大量の機関車がお役御免となりました。
それは同時に
機関士の仕事がなくなるということです。
若手の機関士なら
気動車運転手に転換することにもなるでしょうが、
とりわけ厳しい冬の北海道…。
その大自然を相手にするわけです。
一朝一夕というわけにはいきません。
習熟運転にかなりの期間を費やす必要があります。
対して、ベテラン機関士の経験と技術は、
北海道の財産というべきものでした。
彼らの能力を活かすためにも、
14系座席車を昼行急行にまわす
必要があったのです。

キハ54形500番台527〜529は
「礼文」を維持していくための
ギリギリの数しかなかったため、
冷房化工事をされることもありませんでした。

でも言い方を変えると
非冷房ではありながらも14年間、
その使命を全うした意味を知るべきです。

「冷房もついていないのか」と
馬鹿にされようが、
「礼文」を必要とされるお客様のために
宗谷本線を守る仲間たちとともに
冬将軍に挑み続けた
痛ましいまでに勇ましい その姿に
思いを馳せていただきたいのです。

2000年3月 
宗谷本線では旭川−名寄間の高速化工事が完成。
名寄以南の最高速度は130 km/hに変更、
急行列車はすべて特急に格上げされました。
「礼文」は札幌−旭川駅間を延長し、
特急「スーパー宗谷」(1・4号)に変更。
キハ400形・480形とともにキハ54形500番台も
キハ261系に主役の座を明け渡しました。

キハ54形500番台527〜529にしてみれば、
ほっとしたところではないかと思われます。

今もなお 最果ての地で活躍している姿をを
お見かけになったら
鉄路を守り続けている彼らに、
ねぎらいの言葉をかけてやっていただけたら
と思います。
−鉄道車両写真集−
JR北海道 キハ54形500番台
JR四国 キハ32形、キハ54形 JR九州 キハ31形
へJUMP