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J鉄局の珍車ギャラリー

JR西日本 205系1000番台

ギャラリー

「 JR西日本オリジナルの205系」
−JR西日本 205系1000番台−

205系は国鉄時代の車両だと思われている向きがあるようですが、
JR西日本が阪和線向けに新たに設計・投入した205系があります。
1988年に登場した205系1000番台です。

サイドから判別できる人はかなりのマニアですが、
前面から見ると窓のレイアウトが大きく変更されているので、
それとわかります。
すなわち、運転士側の窓が狭いものとなり、
反対に助手席側を大きく変更したのです。
よって、鉄チャンスタンド(客室)からの展望は、
すこぶる良好です。
国鉄末期の車両、
例えば103系のATC装備車などがそうですが、
前面展望のことなどまるで考えていません。
「JRになったんだなあ。」
初めて205系1000番台に乗車したとき、
そう感じました。

そもそも、国鉄205系とはどのような電車だったのでしょう。
先代の201系は、103系に代わる通勤形電車として
1981年より量産が開始されました。
キーワードは省エネルギーです。
先々代となる103系は抵抗制御です。
加速するにせよ、減速するにせよ、
熱エネルギーを空中に放出する電車です。
201系では、電機子チョッパ制御を採用することで、
これらの無駄をなくし、
時代の要請に応えたのです。ただ、
電機子チョッパ制御は、製造コストが非常に高くつく
というデメリットがありました。
当時、財政的に厳しい状況に置かれていた国鉄にとっては、
老朽化している数多くの車両を
安価な車両で置き換えなければならない状況にありました。

そこで、205系に採用されたのが、「界磁添加励磁方式」です。
かみ砕いていいます。
抵抗制御でトルクと回転数を加減してゆくと、
抵抗値0で回転数は最大となります。
ここでなお、
(電圧・電流一定のまま)回転数を上げるには、
磁束を速度に反比例で減じればよいのです。
弱め界磁といいます。
そこでこの時、外部電源をもちいて、
励磁電流を制御するのが界磁添加制御です。
(ちなみにここだけチョッパ制御するのが、界磁チョッパ制御)
抵抗制御でコントロールする速度域を減らせば減らすほど、
熱損失はないわけです。
加えて回生ブレーキは高速域でこそ有効です。
高価なパワートランジスタを使わずに
よくぞここまでという感じですね。

また、205系はステンレス車体です。
新開発の軽量ボルスタレス台車の採用と相まって、
軽量化でも省エネルギーに貢献しています。
応答性のよい電気指令式ブレーキの採用も含めて、
205系はよくできた電車です。
だからこそ、JRになっても作り続けられたのです。

ここで導入の経過を見てみましょう。
国鉄末期、首都圏全体の101系103系を置き換える
ビッグプロジェクトがありました。
ここで抜擢されたのが205系です。
1985年、まず手始めに山手線用でデビューさせ、
山手線から103系を転出、古い車両を置き換えつつ、
首都圏各線の輸送力増強にあてました。
JRになってからも205系は継続して投入され、
JR東日本では1400両を超える一大勢力となってゆきます。

一方、JR西日本に投入された205系はというと、
国鉄時代はたったの28両です。
JRになってからも0番台は1台も投入されていません。
新たに投入されたのはJR西日本オリジナルの1000番台でした。

さて1000番台では、何がどう変わったというのでしょう。
営業最高速度を 110 km/h に引き上げたというのが
一番のポイントです。
主電動機(WMT-61A)の最高回転数を
4,600 rpm から 5,100 rpm に引き上げました。
台車は軸箱方式のボルスタレスと基本的なスタイルは同じですが、
高速走行を考慮してヨーダンパを取り付け可能なものにし、
基礎ブレーキについても高速対応用に改良されています。

結果、性能の違いから0番台との併結運転はできないのですが、
投入されたのは阪和線です。0番台の配属はありませんでした。

98年の「JR電車編成表」日根野電車区のページを見てみると、
205系1000番台の注に
「天王寺7:52着104H、7:59発105H(快速)は8両編成
 ほかは4両編成にて普通列車を中心に運転」
とあります。

最多混雑時の快速を113系8両編成(4×2)では、捌ききれなかった。
ということで乗車定員の多い通勤形、
かつては103系8両編成(4×2)が快速列車に動員されたのですが、
103系は速度の点で快速運転に無理があります。
それは205系0番台でも同様です。
結果、205系1000番台の登場となったのです。

その後、JR西日本の通勤形電車は
VVVFインバータ制御車の207系に移行しました。
結果、205系1000番台は
4両編成5本(20両)のみで終わってしまうのですが、
ピンポイントな要望に応えたと考えれば、
その少なさも納得がいくところです。

明石区に配属された0番台が、配属先を転々としたのに対し、
1000番台は永く阪和線で活躍を続けました。

そんな彼らも、2018年3月のダイヤ改正より
阪和線での運用を終了することになります。
奈良区に転属され、103系運用の一部を置き換える形で
奈良線で活躍することになりました。
0番台もまた、4両編成に組み替え、奈良区にやってきました。
まだ103系も活躍しているので共通運用となっています。
1000番台の本来の実力が活かせていないということで、
少々気の毒な気がしますが、
遠い異国で働いている205系のことを思うと
贅沢は言えないのかもしれません。

しかし、奈良線とりわけ「城陽以北」は、
国鉄時代には考えられないほど乗客数が増えています。
複線化工事も進んでおり、
工事完成のあかつきには「みやこ路快速」ならぬ「通勤快速」が
増発されるかもしれません。
そのとき、205系1000番台の実力が発揮されたとしたら
おもしろいのですが…。


参考文献(鉄道ピクトリアル 1989年5月号 #512,
「新車年鑑」P87、217)