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J鉄局の珍車ギャラリー

高松琴平電鉄 1063形 1063

ギャラリー

「半端(ハンパ)な形式」
 高松琴平電鉄 1063形 1063

琴電には1013形、1063形という
半端な形式の電車が在籍していました。
1982年に三岐鉄道より
モハ120形+クハ210形・130形を譲り受けたものです。
これらは翌83年5〜6月にかけて順次改造され、
モハ120形・クハ210形が1013形1013 - 1017、
モハ130形が1063形1063
とそれぞれ改番されました。

ここでまず、種車である
三岐鉄道 モハ120-クハ210形/モハ130形について
お話しします。

三岐鉄道では1956年の電化以降、
他社より購入した中古の電車と
かねてから運用されていた気動車を併用していました。
これらを置き換え完全電車化するために増備されたのが、
モハ120-クハ210形/モハ130形です。
1959〜63年製のモハ120形120・121・122、
クハ210形210・211の5両。
及び1966年製のモハ130形130です。
ともに18m級の全金属製車体で、
ノーシル・ノーヘッダーの張り上げ屋根をもつ
近代的なスタイルです。

画像をご覧下さい。
名鉄のHL車とよく似ていますね。
そう この車体は1957年に登場した「日車標準タイプ」です。
特に120形は2扉の片運車ですので、そっくりですね。
でも三岐鉄道初の新造電車である120形130形は、
旧型車の再生品を利用した名鉄HL車とは足回りが違います。
主要機器は東洋電機製で、
制御器はES-561。電動機はTDK-820/2C(75kW)。
台車はペデスタル式ウィングばね台車FS-17Aを装備。
駆動方式は中空軸平行カルダンで、歯車比は7.64。
そう、カルダン駆動なんですよ。
加えて130形は両開きの3扉です。
今でも関西で18m級の車両を運行している
阪急や京阪の通勤車と同じです。
ちなみに阪急では1960〜64年製の2000系からがそうですが、
当時としては最先端の高性能車輌が
地方鉄道からデビューしたといっていいでしょう。

しかし、その後増備されることはなく、
1977年に導入されたのはもと西武501系である501系。
ツリカケ駆動の旧型電車です。
なぜでしょう?
120形をカルダン駆動の高性能車と紹介はしましたが、
120形のTDK-820系電動機は75kwという小出力で、
1M1Tではちょっと厳しいという一面がありました。
歯車比が(7.64)と高く設定されているのも
Tc車牽引の必要性からです。
もっとも、三岐線でそんなに高速運転する必要はないのですが、
朝夕の大量輸送にはそぐわない一面があったように思われます。
加えて2扉であることも足かせになったでしょう。

対して西武からの移籍車は20m級3扉の大型車なんですね。
18m級2扉車体の120形とは輸送力が違います。
中古の旧性能車とはいえ
ローコストで輸送力の増強することができるのです。
三岐鉄道は、これに味をしめ、
81年からはこれまた
旧性能車である元西武451系を導入することになります。

そこで130形です。
増結されることで、僚友の非力さをカバーするとともに
両開きのそれも3扉でもって
ラッシュ時での大活躍が期待されていたわけです。
西武からの移籍車がなければ、
きっと増備されていたでしょう。
三岐鉄道において15年あまり活躍してきた130形ですが、
後輩である旧型のツリカケ駆動車より早く駆逐されるのは
想定外のことであったに違いありません。

結局、元西武451系である601系に代替される形で、
モハ120をはじめとする新造カルダン車グループは
82年3月までに廃車、
5両揃って高松琴平電鉄へ売却されることになりました。

新天地の琴電ですが、三岐線の1,067mm(狭軌)のに対して
1,435mm(標準軌)と軌間が異なることから、
導入に際しては台車をどうにかしなきゃあいけません。
従来、三岐で装備していたFS-17A台車は鋳鋼製でしたので
切り継ぎによる拡幅改造は不可能。ということで、
琴電がストックしていた台車へ交換されました。
(汽車製2HE・3H、ならびに木南車輌製DT30)
頑強かつシンプルなスタイルからもおわかりのように
ツリカケ駆動です。
同時に主電動機も三菱電機製MB-115AFに換装されました。

120形改造の1013形とともに
130形改造の1063形も
自慢の足回りを失ってしまったわけです。
それだけではありません。
ラッシュ時の切り札ともなる3扉までも
2扉化されてしまいました。
これは当時の瓦町駅ホームが急曲線上にあったため、
中央扉とホームとのスキマが過大となり危険だから
という説がありますが、
東武浅草駅や阪急石橋駅ほどではありません。
おそらくは
他の琴平線車両に
合わせただけのことではないかと思われます。
いずれにせよ1063形は
130形であった時のプライドを
失ってしまったということになるでしょう。

まあ人に喩えてみれば、
鳴り物入りの新人としてデビューしながらも、
早々に、よそ者に仕事を奪われ、リストラ…。
転職先でも、自慢のスキルを全く活かすことができず、
彼は他の旧型車に伍して働かざるを得なかったわけです。

2003年から琴電では1200形が大量に(22両)導入されました。
元京急700形です。3扉がメインの京急にあって、
初めて4扉を導入した18m級通勤形電車です。
2020年現在、1200形は琴電の主力として活躍しています。
1967〜71年製ですから
1966年生まれの1016形とさほど車歴に違いはありません。
そんな1200形に1063形は
2005年6月淘汰されることになります。
1200形は扉を埋められることもなかったし、
足回りもカルダン駆動のままです。

「なぜ…。」と問う以前に
「所詮、俺はハンパな存在よ。」と
1063形は「すべて否定された」という思いで
解体されていったに違いありません。
−鉄道車両写真集−
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